昭和四十九年二月二十一日朝
X御理解第五十五節 賃を取ってする仕事は、若いときは頼んで呉れるが、年を取っては頼んでくれぬ、信心は年が寄る程、位がつくものぢゃ信心をすれば一年一年有り難うなって来る。
若い時には若さにまかせて、神も仏もまあ在るものかという行き方も出来る、随分所謂我儘な、行き方をして如何にも幸せ相にしている人も沢山、あるけれども、段々、若さにものをいはせることが出来なくなる、いうなら力が衰えて来る、老い先が短くなって来ると、淋しうなってくる、又は老い先が短かくなって来ると、様々な曲がり根性が出来てくる、疑い深くなる、そういうのが普通ではないかと思います。
それで信心させて頂くと、年が寄るほど位がつくものぢゃといはれるが信心をしておっても、やはれ同じ事しかいへれる人が殆どではなかろうかと思う、やはり淋しうなる、又は根性が悪くなる、ひがみが強うなる、自分の五体に物云はせておる時には、それもやり貫いたけれども、体に段々力がなくなり衰へて来た頃、何も出来んごとなって来ると、若いものの仕打ちが一つ一つ、気になって、気になって来ることは、いわゆる不平不足の種になって来る。
信心を、なら金光様の信心をさせて頂いておりますと、もう合楽に御縁を頂いて居りますというだけでは同じことです、だからこの行き方で行きさえすれば、年が取るほど有り難うなって来る、一段一段と幸せへ幸へとおかげを頂いて行けれる、確信の持てる様な、いうならば信心をしておかねばいけない、いうならば一年一年有り難うなって行く信心をしておかねばならん。
信心でいう有り難いというのはね、此処でいうておられることは一年一年有り難うなって来るというのはね、何かを貰うたから有り難いというのではないのです、信心の有り難さというのは、信心の有り難さというのはね、一切がおかげとして頂ける心なんです。
だから何もかもが有り難い、それが確固たるものになって来る、その有り難さが、自分の都合のよかときだけ、まあ子供たち、孫達がよくして呉れますから、有り難い、ならこんどは、良うして呉れなかったらどうなる、有り難くない、不平不足をいはなきゃならん、どうゆう中にあっても有り難い、その有り難いというのか、若いときから、信心をさして頂いて、本当の有り難さを身につけて、本当の道理がわかり、本当のいうならば行き方に本気で精進しておられるのに、本当信心でいう、一年一年有り難うなって来る、という有り難さになって来るない。
段々段々おかげを頂いて自分の思う様に段々信心が生長して、だからおかげが只有り難うなって来るのぢゃないです自分の都合良かごとおかげを頂くから有り難い都合の悪い事になったらもう有り難くない、それでは一年一年有り難うなるという有り難さにはなって来ないそれは信心すればいつとはなしに何とはなしにおかげを受けます、だからおかげを受けるからそのおかげを本当のおかげと、本当にわからせて頂いたらね、良いのですけれども、そのおかげがもう当たり前の様になって、自分の思う様にならんと、おかげではない様に思う。
私はこの五十五節の今日の御教えを頂かして貰うて、お互いの信心の、例へば信心の度合いというものが、見極める、事の出来れる、教えだと思うですね、自分はもう何年信心さして貰いよるが、あれもおかげ云へなかったものがです、まだおかげとは云へないけれども、それが一つ一つあれもおかげであったと後を振り返って見ては、本当にあれもおかげじゃったなぁと、それが段々確固たるものになって来るから年を取るほど、十年たち、二十年たち、三十年たつ頃には、もう絶対の信というか、所謂絶対の有り難さというものが身について来る。
それが信心、年を取れば、信心すると云うのはそういう位只永年信心しとりますと、いうだけ、信心しとらんならいきなり位が頂けるというのじゃない、そういう有り難い普通なら有り難くないことまで有り難いと、段々それが範囲が広うなって来る、私は本当に折角信心させて貰うなら一年一年神様から信心を頂ける位のね、有り難さというものを身につけて行かなければね、駄目ですよ。
お願いをすりや自分の思うごとなったときおかげである広大なるおかげと云うて有り難がって、それとは反対のときに、それをおかげと、有り難いと、もう本当に段々段々どういうことがあっても、即おかげと云へれる様なおかげを頂きたいですね、頂かなければ嘘です、合楽ではもうそのことばっかり説いているのですから。
私は、それを行の上に表はさなかったり、それを本当に稽古して行かないから、有り難いことじゃばってん有り難くないということになって来る、稽古の私は一つの手段というかそういう稽古もせなければいけないよねと、昨日修行生の方達がここに二三人出て来ましたから、話したことでした。
もう痛いと思うたら痛うてこたえん痒いと思うたらもう痒うしてこたえん、辛いと思うたらもう、辛うしてこたえん、辛くないと思うたら辛くない、有り難い、例へて申しますと、私共、北京に居ります頃に、年に一回づつは蔵男達が郷里に帰ります、私は帰られないもう帰えりたいと思うたら、それこそ望郷の念です、もう帰えりたいと思うたら、矢も楯もたまらんごとなる、けれどもね、帰られんじゃない、それは苦しい、帰らんと決めたらね、一つも帰りたくない。
うんといっちょ儲け出しといてから、年に一ぺんづつ位、まあ遊びに帰るくらいな、おかげを頂きたいとは思うておったけどね、ところははじめの間はそうじゃなかった、もう帰えりたいと思うたら矢も楯もたまりません、私共が御結界に奉仕するとも、もうしるしいと思うたら一時間でも、しるしうてこたえん、しるしくない有り難いと思うたら、こげん有り難いところはない。
例へば痛い痒いでもそうですよ、そりゃもう成程、痛いなら痛い痛くない痛くないと本当に思う稽古をしてござらん痛くなくなって来ますから、私は兵隊におる時分に、炎天で不動の姿勢をさせられとった、皆そしたらもう蚤が沢山居るんですよ、兵舎に、それが背中にムジムジして痒うして痒うしてどんこんできん、それでも生神金光大神様、生神金光大神様で、もうそれこそ、一生懸命ね、そのいうなら痒くない痒くないという事に思うたら。
おかげでそれからまた随分永かったけれども半ば頃から痒くなくなった、一心というものは大した事です、皆さんがです、自分の都合のよかごとは有り難いけれども、都合の悪いときは有り難くないなら、それは本当は有り難いことなんだけれども、自分の信心が出来んから有り難くないのだと。
だからこれは有り難いんだ、有り難いんだと、本当にそれを有り難いものにして行くまで、いうならば心を神様に向けるという様なね、おかげを頂いたら有り難くなる、だからそういう稽古もせにゃいけんよ。
御結界に座っとってから尻がムジムジしてから、睡うして、本当に早く替わりに来て貰うとよかろうと、もうそうなったら此処にはいっときでも、座って居れんところです、けれどもそうじゃない有り難いところだと、苦しいところじゃない有り難いところだと、有り難いところだと思うたら、こげん有り難いところはない。
それこそ替わりに来ると、惜しうして立たれんごとある、ところなのである、お互いの職場に於ても同じ事がいえるのじゃないだろうか、こげなしるしい仕事てんなんてん思はずにです、有り難い仕事だ、有り難い仕事だと、私はそういう信心の稽古が要ると思うです。
私共小学校の時の読本に中江藤樹の話しが出ていた、家が没落した、そこで自分は、江戸の漢学者の家に預けられた、親一人、子一人である、或る寒い冬の日に、お母さんがしるしうあろう、以前ならば何人もの召使いを使うて、この寒いのにも寒い思いをしなかったお母さんが、何も彼にも一人でやっておられる、そしていつも寒い時にはしもやけがしたり赤ぎれがしたり、されるのを思うたらもう矢も楯もたまらなくなった。
江戸で有名なしもやけヒビ赤ギレに効くという、薬を買った、そして一山越えて、あそこは近江でしたかね、近江ですね、近江聖人というから、の国へ帰ることを思い立った、それこそ師匠にもいはずに帰った、それこそ途中の雪の山で死ぬ凍え死ぬ様な、苦しい思いをして帰った、門を入って裏の方をのぞくと、裏の方で、つるべのキジル音がする、お母さんが何か水仕事をしているのだなと、それから裏の井戸端に駈けて行ってお母さん帰って来た、と云うたところが、お母さんがそのつるべの綱を握り締めながら、藤太郎お前はどうして帰って来たのか、お師匠さんのお許しを、頂いて帰って来たのかと、いえ師匠さんには黙って帰って来ました。
お前は出るとき何年間は帰らないと決めて行ったじゃないか、いうなら学成らずして帰ってくると云うことがあるか、しかも師匠様にそれをいはずに帰って来ておる、それともお母さんが寒さに、いうならお母さんが霜焼けやらヒビあかぎれに難渋してあるだろうと、思うて矢も楯もたまらんで帰って来た、こうして江戸から有名な薬を買うて帰って来たとこう、そのときにお母さんがその親切の薬だけは貰うところ上げてもやりたいご飯も食べて行けと云いたいけれども、サ今からすぐこの足で帰れ。
私共が信心の稽古をさせて頂いとるときにです、もうこれだけは辛抱出来ませんそれは有り難く頂くとか本当でしょうけれども、もうこれだけは辛抱が出来ませんということがやっぱりあるんです、今日はこの御理解を頂くと、一年一年有り難うなるということは、今まで有り難いと思へなかったことが有り難いと思へる稽古が一段一段出来なければいけんのである。
小倉の桂ミツ先生、所謂初代の連れ合いである、四神様の仲人で、九州に一緒で桂先生と結婚されて、段々九州の生神様と云はれる様な御ヒレイが立って来たけれども奥様だけには大変につらく当られた、又よくその事情もよく詳しく聞かせて頂いたんです、けれども成程そういう事なら辛抱出来なさるまいという事実があった。
御本部に帰られた、そしたら四神様がねその話しを聞き終わられてから『、ミツさん辛いか』ともう辛いの何んのともう他の辛抱ならどんな辛抱でも致します、けれどもこれだけは辛抱が出来ませんと仰った、さあその出けん辛抱するのが辛抱じゃと云はれた。
松平から表から追い出されたら裏から入れ、裏から追い出されたら表からはいって来いと仰られた、その四神様の一言です、辛抱出来ん辛抱が出来られた。
皆さんの場合でもそうです親先生が何でも彼でもおかげばいおかげばいと幾ら云はれても、これだけは有り難く受けけられんということがあると、けれどもです、此処でそのお取り次ぎをさせて頂くとです、一心にお届けさして頂くとです、それこそ中江藤樹のお母さんぢゃないけれどもその時にふん切りが付く程の、本当にくびすを返して雪のお山の中に帰って行く程の元気が出るんです、それがお取り次ぎの働きです。
先日から熊谷さんの、お孫さんが歯をあたられて、血が止まらないそれでもうおばあちゃんに云うと心配されるから、というて、いうて居られなかったところへ何とはなしに娘さんの家に行きたいから行かれたところが自動車でどこかへ行かれるところであった、何処へ行きよるのというたら、仕様がないから、実はこうこうというて話された。
まあそげな大変な事なら、電話いっちょ掛けて呉れたらお願いするとにと歯から血が止まらなくって輸血をしよる、だから止まらないと本当に死ぬ人があれば沢山ある、お医者さんですそのお宅は石井さんという、それでもいわば畑違いですから、歯科ですから、医者さんですから、どこか久留米か福岡かでしょうかだからそこへ今行きよるところであった。
そんなら私も乗せて行って呉れんのというて、ここまで乗って見えた、そして改めてここでそのことをお届けされた、その時に私がです、熊谷さんもう何も彼にもがおかげですよともうそれこそ、いうなら吉井からここまでの間は、それはいかな熊谷さんもです、本当に矢張り心配されただろうと思う、もうそれこそ憑き物が落ちた様にすきっとした、本当におかげである。
いえおばあちゃんが願ったからおかげを頂く、という様な意味じゃないですそういう意味ぢゃなくて、それは助けて頂きたいという気持ちであってもよし、それが死んでもやはりおかげだというおかげである、もうすきっとしとる。
昨日西岡先生がそのことを、前の晩に参って見えたときに、あのお孫さんは如何ですかと聞いたら、あら私は忘れてしもうとりました、どげんなっとるぢゃろうかと、いはっしゃった、もう西岡さんが恐れ入ってしもうてから、こういう心境になれるということですね、信心とは。
それがお取り次ぎを頂いて、いうならば中江藤樹の母ぢゃないけれど、も本当の事を教えて呉れる、どういう辛いことでもどういう苦しいことでもです、それはあんたOOさんこうじゃないかと、いはれたらああそうじゃったとはっとすぐ思い返せるそれを取り違えておったことを、取り直す、させて頂けれるということです、出来るのがお取り次ぎをさせて頂いて、信心の稽古をさせて頂くことが、信心させて頂く者の幸せだと思うです。
そしてそういうことをくり返しくり返しさせて頂いておる内にです、もう本当にあれもおかげこれもおかげとわからせて貰うことがです、信心の位が一年一年上って行く位、を一つづつ頂いて行きよる。
孫が死に直面しておるということを聞いても、もうそれを忘れて神様のおる位のね、私は心というもの一ぺんで、これは、二、年三年で出来ることじゃありませんです。
皆さんご承知の通りに、熊谷さんの最近の信心の心境というものはもう、もう幾つですか七十七ですか、それこそ年を取って行くに従って、体はいうなら足も悪うて、よぼよぼなって行きなさるけれども、心の中は愈、賑やかになって行きよる、愈有り難うなって行きよる、この広い家に自分が一人寝まんならんなどとは考へたこはともない。
それがもう有り難うて有り難うて、自分の思うごと、御祈念も出来る、自分の思う様に、お参りも出来る、私はこういう信心こそがです、一年一年熊谷さんは信心を頂いて行きよんなさるなと思うしかもそれこそ最近のことは何も彼にもが成就して、不自由するものがなくて、勿論お金なんかには、もう不自由することは、ないという程しに、いつも体験を発表して居られる様な、おかげが伴うのうて来ておる。
ならそげん結構けだらけしござるけん有り難たいと云へばそれまでのこと、普通信心のない、信心があっても頂いてない人はです、それこそ淋しい事であろうと思う、只有り難いものが集まる、そういう結構なおかげを頂くいてあるけん有り難いとじゃろうたいという事はなくて、なら孫の瀕死の重体を聞いたときです、それははっとされるものがあったに違いない。
そんなら私も連れて行って呉れというて孫の方には行かずに、合楽に行かれた、そうして一言の御理解、明くる日参って来て、親先生明日親先生から、あれもこれもおかげと頂いたときにです、本当にそれこそ、心の中に不安の固まりが一変に取れてしもうたと云う程しのおかげが一ぺんに頂かれようとは思はれませんけど。
そういう一つ一つの問題を通してです、それも有り難い事だ、これも有り難い事だと、有り難いとお礼のいえるところまでいはば有り難いの答えを出して行く、行き方を身につけて行く信心を、なさらなければ、いくら十年たっても有り難うなってない都合のよいことは有り難いけれども都合の悪いことは、本当に腹の立つ問題であったり、心が暗くなったり悲しうなったりする。
元になったりする様なことでは、信心頂いて、いや合楽で信心を頂いて稽古をしておる値打ちがないそれでは私は金光様の信心、と云いたいけれども、合楽の御神嗣を頂いておる皆さん、だけはです、本当に一年一年位を頂かして頂ける様な信心、を身につけておいでられなければならないと思う、私自身もそれに邁進しておる。
自分の頂いている有り難さというものがどの程度の有り難さか、自問自答してみて、あぁ自分の有り難さはこの程度しか有り難いというものかいへない自分であるところに、いうならば、信心不足、修行不足を悟らせて貰うです、そこに焦点を、此処に稽古に来るとは、何を稽古にそのことを稽古に来るんだよ。
簡単に信心は、年が寄る程位がつくものだというておられるから、信心しよればそうかと思うとる、けど最後のところにチャンとかちっとしておる、最後に一言おっしゃっておられる。
信心をしておれば一年一年有り難うなって来るとおっしゃる、一年一年有り難うなる様な信心が、身につけながら、年を取って行くのであるから、愈有り難うなって来るわけです。
お互いの信心の心というものがです、果たして様々な問題を皆さんが持つております、問題を踏んまえておりますけど、その問題をどれ程に、有り難いと受けておるか、一つ検討してみて、実をいうたらそれもおかげですから、それも有り難いのですから、いうならば金光大神のお取り次ぎの働きの中にあるのですから、おかげです、と頂けれる信心を愈身につけて行きたいですね、どうぞ